この記事は『ウルトラマンティガ』の最終回のネタバレがあります。未視聴の方は自己責任でお願いします。
『ウルトラマンティガ』は、前作から16年ぶりとなるTVシリーズで、革新的な要素を多数盛り込んだエポックな作品である。

アイドルグループ『V6』が主題歌、そのメンバー・長野博さんが主演を務めた作品です
M78星雲が存在しない世界観、状況に応じて体の色を変化させるタイプチェンジ能力など、『ティガ』が生み出したものは、後の作品にも多大な影響を与えている。
中でも注目したいのは「人間が未知の力を手に入れてウルトラマンに変身する」ことだ。
それまでのシリーズにあった「ウルトラマンという宇宙人が地球人に化けるか、地球人と一心同体になる」のとは違う、いわゆる「人間ウルトラマン」である。
そこから『ティガ』という作品は「特別な力が無くても、誰でもウルトラマンになれる」と導いたと感じた。
凡人として描かれたウルトラマン
主人公マドカ・ダイゴは、超古代の巨人の石像と一体化し、ウルトラマンティガとなって戦う。

人間ウルトラマンなのは、空っぽ状態の石像にダイゴの意識が入ったから
ダイゴは劇中では「凡人」として強調されていた。
それが特に顕著なのが、ダイゴが所属する特捜チーム『GUTS(ガッツ)』での活動である。
精鋭チームの隊員だけあってダイゴの能力自体は高いが、他の隊員と違って何かしらの得意分野が無く、あらゆる場面で他の隊員に遅れを取る印象を受けた。
ここで「おい!ウルトラマンに変身できるだけでも凡人じゃないだろ!」と思った人がいるかもしれない。
一理あるが、必ずしもそうとはならない理由が、マサキ・ケイゴの存在である。
マサキはダイゴと同じくウルトラマンになれる能力を持ち、神になるためにイーヴィルティガに変身するも、力を制御できずに暴走してしまう。
つまり「ウルトラマンに変身できる=無条件に優れている」わけではないのだ。
普通の人だからウルトラマンになれた
第50話で、ダイゴの正体に気づいたレナ隊員から「(ウルトラマンとして1人で戦うのは)酷いって思わないの?」と涙まじりに訴えられる。
それに対しダイゴは「俺は人間だから。俺がやれることをやりたいだけだよ」と答える。

主題歌『TAKE ME HIGHER』をBGMにしたダイゴとレナの掛け合い、変身シーンは神でした!)
ダイゴはウルトラマンでありながら「人として戦う」ことに拘っていた。
だから、神になろうとして失敗したマサキと違い、正義のウルトラマンとして戦い続けられたのだと思う。
ダイゴに優れた点があるとすれば、ウルトラマンに変身できることそのものではなく、普通の人間(凡人)としてウルトラマンに変身したことだろう。
最後のガタノゾーア戦では、ティガは一度敗れるも、世界中の子供達から「光」を貰って復活を果たす。
この時、ティガの中に子供達が集まり、まるでティガと一体化して一緒に戦っているような演出が見られた。 つまり、子供たちは「特別な力がなくても、普通の人間でも、ウルトラマンに変身できた」といえる。
ここに「凡人」であり続けたダイゴの戦い方が結びつき、他とは違う『ウルトラマンティガ』という作品の色が感じられた。
最後に
『ウルトラマンティガ』は意欲作でありながら、ある意味「普通」に拘った作風は、当時としてはかなり斬新だったと思う。
新時代を築いた『ティガ』の「光」は、これからも誰かに受け継がれていくのだろう。
(文・西森圭人)
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